ブルース:ブログ4第14話: 2005.06.23 Thursdayアルバート・キングのライブ10年間・パート2Live Adventures Of Michael Bloomfield & Al Kooper 昨日の続きと言う事で、「フィルモア」のオーナーがユダヤ人のプロモーター、ビル・グレアムで、ポール・バターフィールド、マイク・ブルームフィールドと言った人達、さらに、ボブ・ディラン、アル・クーパーもそうなのですが、それは昨日と同じく、ここを見てもらうとして・・ ビル・グレアムは1931年にベルリンで生れています。こう書けば察しがつくと思いますが、当時のベルリンでは、すでにナチスによる迫害が始まっていました。彼が生れて間もなく父は亡くなっていて、母は、何人かいた姉達と彼を国外に逃がすのに奔走したようです。 結局、家族は離散してしまい、彼はただ一人になってしまいました。そしてアメリカへ逃げ延びるのですが、まだわずか10歳の時です。その後の苦労や孤独感などは並大抵の事ではなかったでしょう。 まあ、このような事を詳しく書くほど知っているわけではないので、フィルモアについてです。彼はニューヨークで育つのですが、離れ離れになっていた姉が西海岸に移住していたのをきっかけに、サンフランシスコに縁をもちます。 1965年12月に、サンフランシスコのフィルモア通りにフィルモア・オーディトリアムを開業します。ここが西海岸のロックの中心地になっていきます。68年になり3月に、ニューヨークに「フィルモア・イースト」という名前でライブ・ホールを開業します。この時のこけら落としにアルバート・キングも依頼されたわけです。 そして、間もなく6月に、フィルモア・オーディトリアムを移転して、「フィルモア・ウェスト」として新たに開業しました。 あと、紛らわしいのが「モンタレー」と「モントルー」です。どちらもフェスティバル会場として有名ですが、カタカナで表記されると、どっちか分からない時があります。「モンタレー」を「モントレー」と書く人がいたりします。 もっとも、最初私は一箇所しかないと思ってました。書く人が、それぞれ勝手にカタカナ表記をしているんだろうくらいに考えていましたね。 「モンタレー:Monterey」と言う町は、サンフランシスコの近くにあります。ここは、ポップ・フェスティバルの会場で有名です。「モントルー:Montreux」は、スイスの国にあり、ジャズ・フェスティバルで有名です。 話がすぐ横道に行ってしまいますが、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドを西海岸で白人に紹介したのも、ビル・グレアムです。彼らは白人と黒人の混成バンドでした。また、アルバート・キングを最初のブルースマンとして起用したのも、白人・黒人の混成バンドでやっていたからでしょうね。 白人社会と黒人社会のパイプ役的な存在を果たせたのは、そのような境遇のビル・グレアムだからこそ出来たのではないでしょうか。 彼がいなければ、アルバート・キングの名盤も誕生しないし、ブルースとロックの関係も大分変わっていたと思いますね。 アル・クーパーも、いろんな形でブルースと関わってきた人ですが、2000年になり、サン・シールズのアルバムに全面参加してます。これは、エグイ・太いブルースが好きな方にはお勧めです。 サン・シールズ |