パワーブルース

マディ・ウォーターズの仲間達 1 (南部デルタ~シカゴ)

シカゴブルース・メニュー

1920年代~シティ50年代・チェス・レコードバディ・ガイ&ジュニア・ウェルズジェームス・コットン前のページへ戻る
マディ・ウォーターズの仲間達1| マディ・ウォーターズの仲間達・2  |  ホーム |
スマートフォンで直接このページへ来た場合、トップページからアクセスし直せば、
スマートフォン用に制作したページがご利用できます。→→→こちらをクリック

ブルース・メイン

三大キング

ウェストサイド

シカゴブルース

ピアノ・ブルース

テキサスブルース

オンリー・ワン

アン・アーバー・フェス

リズム・アンド・ブルース

ソウル

日々雑聴

マディ・ウォーターズのフェイバリット・ブルースマン

まだ南部デルタにいた頃:1940年代の中頃まで

 マディ・ウォーターは1915年生れですから、15歳の頃にはちょうどブルースの録音もそちらこちらで行われていて、けっこう多くの人を参考にして歌やギターを学んでいったようです。13歳頃まではハープ(ハーモニカ)を練習したようで、この頃はロバート・マッカラム(ロバート・ナイトホーク)とセッションをして練習をしていたようで、ロバートからけっこう学んだようです。1932年に最初の結婚をして、この頃に始めてギターを買って練習を始めました。最初にマスターしたのが「リロイ・カー」の「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルース」と言う事です。

 当時は、チャーリー・パットンは生で聴くことが出来ましたし、ブラインド・レモン・ジェファーソン、ブラインド・ブレイク、ブラインド・ボーイ・フラー達のSP盤レコードを買っていたそうです。また、近くに住んでいたサン・ハウスは、ウィリー・ブラウンと演奏をしていたようで、マディはチャーリー・パットンよりも、エディ・サン・ハウスに強く憧れていたそうです。あのロバート・ジョンソンも、かなりサン・ハウスにインスパイアされたようですから、サン・ハウスと言うブルースマンの凄さがわかりますね。

 またこの頃に、9弦ギターで有名な「ビッグ・ジョー・ウィリアムズ」からは、「ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー」を教わったようです。1940年頃にはマディは地元でナイトクラブを経営して、ヘレナからサニーボーイ・ウィリアムソンとエルモア・ジェームスを呼んだりし、サニーボーイは自分のラジオ番組にマディ達を呼ぶといった交流がありました。


CDとMP3があるみたいです。

MP3 です。
   

ホーム

サイトマップ

馴染みやすい
ブルースアルバム

ブルース・ブラザーズ等

ロック系との影響

1960年代

お薦めブルース一覧

ブルース編1-ア行~サ行

ブルース編2-タ行~ハ行

ブルース編3-マ行~ワ行

R&B編

ソウル編

話題のDVDなど

ブルースの歴史など

**追加記事など**

関連アルバム

アリストクラット・レコード

チェス兄弟がアリストクラットを吸収して、チェス・レコードになりますが、そのアリストクラットの頃のコンピ盤です。(元々、アリストクラットもチェス兄弟が経営していたと思いますが、このへんの事はよくわかりません)

Leroy Foster

 1949年頃には、パークウェイ・スタジオで、リロイをリーダーにしたり、ウォルターをリーダーにしたトリオで録音したりしています。また、ジミー・ロジャースをリーダーにして、バッキングをトリオで付けたりしています。そんな曲の中でも、リロイの「ローリン&タンブリン」はマディのギターもハードで、違った味わいがあります。ロックの原点のようなリフの演奏が良いです。この翌年に、マディはビッグ・クロフォードと「ローリン&タンブリン」を録音しています。

Johnny Jones

「Johnny Jones 」は、私が知ってる音源は他には「Johnny Jones - Live in chicago with Billy Boy Arnold」と言う、1963年のライブがあります。これは1979年になってリリースされたもので、貴重な音源ですが、見つけたらぜひ聴いて下さい。淡々とした歌がなかなか良いです。(CDは見つからずも、mp3がありました)

LITTLE WALTER

His Best : The Chess 50th Anniversary Collection

最初に聴くなら、これが良いです。

JIMMY ROGERS

チェス・コンプリート

Feelin Good [1995]

 

チェス・ストーリー
1947-1975

チェス所属アーティストのシングルを集めたものと思いますが、マディのデビューの頃から、55年頃のチャック・ベリーやボ・ディドリー、さらにはソウル系のエタ・ジェームスなど、チェスの歴史が楽しめます。各アーティストのコンプリート盤などもあり、比較しながら聴くのも面白いです。13枚CDセットです。

アルバム収録曲・13枚全部

1940年代から1970年代

マディが初期にセッションした人達

 1942年に、ミシシッピーに訪れた「国会図書館」用の録音を別にすれば、マディの録音は1946年が最初のようです。その時は、ボーカルはマディですが、バンドはジェームス・カーターのバンドでした。「 Mean Red Spider」をやっています。メンバーは以下ですが、リーダーの「James ‘Sweet Lucy’ Carter」は、楽器は何だったのでしょう?。ホーンの入ったバンドみたいですから、まだ南部デルタのブルースを売る為の模索をしていたのでしょう。

JAMES ‘SWEET LUCY’ CARTER AND HIS ORCHESTRA
(セッション年:1946年 Chicago )

Muddy Waters vcl, gtr; prob. Alex Atkins alto sax; prob. Lee Brown pno; unk.
clarinet; Ernest ‘Big’ Crawford bass

 このセッションでは、友人のサニーランド・スリムとジミー・ロジャースの録音もされたみたいです。また翌年の1947年には、サニーランド・スリムとの録音もあり、この時の出来などは、私はとても好きです。

SUNNY LAND SLIM WITH MUDDY WATER (1947年)

Sunnyland Slim vcl, pno; Muddy Waters gtr; Ernest ‘Big’ Crawford, bass; unk,drums
U7056 Johnson Machine Gun Aristocrat 1301
U7057 Fly Right, Little Girl Aristocrat 1301


MUDDY WATER WITH SUNNYLAND SLIM (1947年)

Muddy Waters vcl, gtr; Sunnyland Slim pno; Ernest ‘Big’ Crawford, bass; unk.drums
U7058 Gypsy Woman Aristocrat 1302
U7059 Little Anna Mae Aristocrat 1302

また、 「ビッグ・クロフォード(Ernest ‘Big’ Crawford)」は「メンフィス・スリム」のサイドマンとして、ベースをやっていました。

しかし、この頃の録音は、なかなかリリースされないままになり、1942年に録音した2曲をリメイクして、ビッグ・クロフォードのベースとマディだけで録音しなおした曲がヒットします。何が効を奏すかわからないものです。

MUDDY WATERS(1948年)

Muddy Waters vcl, gtr; Ernest ‘Big’ Crawford, bass

U7112 I Can’t Be Satisfied Aristocrat 1305, Chess 1514 For My Baby – Chess 1514)
U7113 I Feel Like Going Home Aristocrat 1305

 1948年の夏は、シカゴと南部で「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」がヒットして、これを期にマディの名を冠した、パーマネントなバンドがスタートしました。ギター・ハープには「ジミー・ロジャース」が、ギター・ドラムに「ベビーフェイス・リロイ」が、そして、ライブの時にはまだ18歳のリトル・ウォルターが入り、4人編成のバンドが出来ました。マディ自身は、「この頃が一番勢いがあった」と言ってます。

 この頃のシカゴのブルース・シーンでは、「エルモア・ジェームスのブルースダスターズ」とマディのこのバンドが双璧だったようです。しかし、レコーディングでは、チェス・レコード側の意向で、ベースの「ビッグ・クロフォード」と二人だけの録音が続いていました。

 その後1949年になって、録音にも「ベビーフェイス・リロイ(リロイ・フォスター)」がギター、ドラムなどで参加してます。ジミー・ロジャースがギターで録音に参加する前は、以下のようなメンバーでやることが多かったようです。

MUDDY WATERS(1949年)

Muddy Waters vcl, gtr; Johnny Jones pno; Leroy Foster gtr, bass drum, hihat-1

******************************

マディと一緒にやった3人のピアニスト他、シカゴで活躍したピアニストのコンピレーション盤です。


ウォーキン・ザ・ブルース~ブルース・ピアノ・シカゴ・スタイル

マディ・ウォ-ターズ・バンドになってからの歴代メンバー:1950年頃から

ハープ ギター
ピアノ ベース

 1948年。この年には、まだ18歳のリトル・ウォルターを加え、ドラムのリロイ・フォスタージミー・ロジャースの4人で、シカゴ最強のブルースバンドを結成しています。この4人がマディのバンド・リーダーとしてのスタートメンバーと言っていいでしょう。52年にはリトル・ウォルターが『ジューク』のヒットを出して、バンドからは独立していきまが、その後もレコードには参加しています。後釜には翌年に、ビッグ・ウォルター・ホートンが入りますが、繋ぎでジュニア・ウェルズもやっています。この二人もシカゴを代表するハーピストです。

 53年にはビッグ・ウォルター・ホートンのハープでマディ最大のヒット、『フーチー・クーチー・マン』を出します。この頃、ピアノのオーティス・スパンが加入して、シカゴ・バンド・ブルースとして頂点に達したと言えるでしょう。今考えても実に強力なメンバーです。

オーティス・スパン (OTIS SPANN)

Born:1930 : Died:1970

 「Muddy Waters Band」のピアニストでもあり、ソロでも多くのセッションに参加しています。チェスの「マディ」はもとより、「ハウリン・ウルフ」「サニー・ボーイ・ウィリアムソン」の録音、さらには「チャック・ベリー」「ボ・ディドリー」の録音にも名を連ねます。

  1946年に軍に入隊、 1951年に除隊するとシカゴ行き、クラブなどで演奏を始めました。 そして、1953年には、Muddy Waters bandに加入しますが、チェスでのマディのセッションには52年に一度やっています。マディのバンドの要的な存在となり、ほとんどの録音に参加しています。
1960年には「サニー・ボーイ」セッションで馴染みとなった、ギタリストの「Robert Lockwood, Jr」デュオでの制作アルバム「Otis Spann Is the Blues」のレコーディングをしました。ソロとしてのキャリアはここから始まり、この時のセッションでは「woking blues」もリリースされています。この年には「Waters Band」として「Newport Jazz Festival」に出演しました。 そのライヴ・アルバム"Muddy Waters at Newport"は、ライブアルバムの名盤としても有名です。


Spannも"Goodbye Newport Blues,"を歌っています。 デビュー・アルバムの成功から、Testament、Fontana、Prestige、Storyville、Decca、Blue Horizon,、Vanguard等を含む、多くのレーベルでレコードを作った。 彼は、しばしばWaters Bandを使って録音した(The Blues of Otis Spann) また、そのメンバー何人かを使って録音することもあった(The Blues Never Die and Otis Spann s Chicago Blues) Spannは60年代、広範囲に渡ってツアーも行なった。Waters Bandと一緒の時も、単独の時もあったが、ヨーロッパには何度も行き、多くの有名なアメリカのブルース・フェスティバルで演奏した。 1970年、彼のキャリアの絶頂時に、Spannは、癌と診断され同年40歳で亡くなった。

リトル・ウォルター
(LITTLE WALTER)

LITTLE WALTER

ハーモニカをアンプで増幅させる奏法の第一人者で、"JUKE"の大ヒット後にマディ・ウォーターズのバンドから出て、自己のバンド「JUKES」を作ります。

 メンバーは、後に最強のリズム隊と言われる『エイシズ』ですが、ジュニア・ウェルズのバックをやっていた彼等を、ジュニア・ウェルズから強引に奪ったと言う話もあります。このアルバムはベスト盤的なもので、ほとんどがカヴァーされています。

 

LITTLE WALTER (CHESS ) (1972)

A:
1:MY BABE
2:SAD HOURS
3:YOU'RE SO FINE
4:LAST NIGHT
5:BLUES WITH A FEELING
6:CAN'T HOLD OUT MUCH LONGER
B:
1:JUKE
2:MEAN OLD WORLD
3:OFF THE WALL
4:YOU BETTER WATCH YOURSELF
5:BLUE LIGHTS
6:TELL ME, MAMA
C:
1:BACK TRACK
2:IT'S TOO LATE BROTHER
3:JUST A FEELING
4:TEENAGE BEAT
5:JUST YOUR FOOL
6:FLYING SAUCER
D:
1:I GOT TO GO
2:SHAKE DANCER
3:TOO LATE
4:THUNDERBIRD
5:AH'W BABY
6:BOOM BOOM OUT GO THE LIGHTS

 

 

 

 

ビッグ・ウォルター・ホートン (WALTER HORTON)

Born:1917 : Died:1981

Big Walter "Shakey" Hortonは、Little Walter JacobsやSonny Boy Williamson (Rice Miller)、Junior Wells、James Cottonといった戦後のシカゴ・ブルース・シーンにおいて影響力を持ったハーモニカ奏者達に匹敵する。 上記した5人の中では、Hortonは、最も無名だ。 その最大の理由は、彼が最も生産的だった時期に、彼自身のレコーディングを殆どしていないからである。 あくまでも有能なサイドマンとしてハープを吹いていたのだ。 Hortonのハーモニカ・スタイルは、甘いトーンで、他のハーモニカ奏者に比べ、強弱法には頼っていない。 彼のソロはしばしば、魂(ソウル)を揺さぶるというよりは、落ち着かせると言った方が似合う。 Hortonの創造的なハープのリフと暖かく柔軟な表現は、Johnny Shines、Willie Dixon、Otis Rush始め、戦後のブルースマン達のレコードを美しく飾っている。 Hortonは、第一次世界大戦後にMississippiで生まれたが、早い時期に、母親と共に、Memphisに移った。 1920年代後期に、手短に言えば、Memphis Jug Bandと共に公演し、レコーディングし、Memphisの道端で演奏していない時は、南部のダンス会や行楽等で演奏していた。 Hortonは、1940年代後半に、Chicagoに行くが、Modern/RPMやSunでレコードをリリースするためにMemphisに戻った。 Hortonは、1953年、長年の友人Eddie Taylorからの、彼のバンドで演奏して欲しいという申し出を受け、Chicagoに戻った。 次にHortonは、Muddy Waterのバンドで演奏し、Junior Wellsと交代した。 70年代を通じて、Hortonは、彼のブルース・クラブを補完し、しばしばWillie DixonのChicago Blues All-Starsと共に、フォークやブルースのフェスティバルに定期的に出演し、レコーディングを行なった。 1972年、彼は、仲間のブルース・ハープ奏者、Carey Bellと共に、Alligator Recordsでレコーディングを行なった。 この結果出来たアルバム"Big Walter Horton with Carey Bell"には、多くの師弟間の多くのブルース・ハープのデュエットがフィーチャーされている。 Hortonは、1981年に亡くなるまでちょくちょくレコーディングを続けた。 1年後、彼はブルースの殿堂入りした。

リトル・ウォルター
(LITTLE WALTER)

LITTLE WALTER

ハーモニカをアンプで増幅させる奏法の第一人者で、"JUKE"の大ヒット後にマディ・ウォーターズのバンドから出て、自己のバンド「JUKES」を作ります。

 メンバーは、後に最強のリズム隊と言われる『エイシズ』ですが、ジュニア・ウェルズのバックをやっていた彼等を、ジュニア・ウェルズから強引に奪ったと言う話もあります。このアルバムはベスト盤的なもので、ほとんどがカヴァーされています。

 

LITTLE WALTER (CHESS ) (1972)

A:
1:MY BABE
2:SAD HOURS
3:YOU'RE SO FINE
4:LAST NIGHT
5:BLUES WITH A FEELING
6:CAN'T HOLD OUT MUCH LONGER
B:
1:JUKE
2:MEAN OLD WORLD
3:OFF THE WALL
4:YOU BETTER WATCH YOURSELF
5:BLUE LIGHTS
6:TELL ME, MAMA
C:
1:BACK TRACK
2:IT'S TOO LATE BROTHER
3:JUST A FEELING
4:TEENAGE BEAT
5:JUST YOUR FOOL
6:FLYING SAUCER
D:
1:I GOT TO GO
2:SHAKE DANCER
3:TOO LATE
4:THUNDERBIRD
5:AH'W BABY
6:BOOM BOOM OUT GO THE LIGHTS

ページトップへ↑

--Copyright(C) since 2002 yi355 All right reserved--