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参考地図以前掲載したブルース地図 も見ていただくとして、ここではR&B(リズム&ブルース)の主な地域を書きます。 R&Bの前の段階として、 ブギ・ウギやジャンプ・ブルースがあり、またジャジーなブルースもあり、なかなか多様な聴きものがあります。 今から100年ほど前は、ミンストレルショー、ラグタイム等のスタイルをベースに、丁度ジャズと言うジャンルが形成されてきました。 1920年代のレコードを聴くと、タイトルが「○×ラグ」「○×ブギ」「○×ブルース」と言ったものが非常に多いですが、それは歌手・演奏者がはっきりと区別されているのではなく、ラグタイムも演奏し、ブギーも演奏し、ブルースっぽさも持ち合わせている人が人気を博した、需要が多かったと言う事だと思います。
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まずはコンピレーションCDでも聴いてみるのが良いと思います。 The Roots of Rock 'n' Roll: 1946-1954 個別に聴くなら、だいたい当サイトで取り上げてるものが、比較的良い様な気がします。 1940年代もまた、イロイロと混在した中から、徐々に枝分かれしてジャンルが出来ていくのでしょうが、当時は、イーストコーストではラグ・タイムから~ジャズの流れが強く、また、ゴスペル・グループからコーラスグループ~ドゥーワップ・グループなどが生れてきます。 ウエストコーストは、ジャンプ・ブルース、バラード・シンガーが人気が高かったようですが、T・ボーン・ウォーカー、ローウェル・フルスン、ピー・ウィー・クレイトンなどブルースマンも沢山いました。 |
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中西部上のオレンジ部分がだいたいR&Bバンドが盛んに活躍した中西部です。カンザスシティは、賭博なども盛んな荒れた町で、いかにもジャンプブルースや、その音量に対抗する為のシャウターが似合います。ロイ・ミルトン、ジョー・リギンス、ワイノニー・ハリス、ジミー・ラッシングなどオクラホマ出身の人もいますが、腕のいい人達が全国から集まってきました。 |
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ウエスト・コーストやはり重要なのは「ジョニー・オーティス(Johnny Otis)」でしょう。自らのバンドにフューチャーしたシンガーをはじめ、新人発掘も多く、まさにゴッド・ファーザーと呼ぶに相応しい人です。ウエスト・コーストはブルースマンも多く、テキサスなどからも移住する人が多かったようです。「T・ボーン・ウォーカー」も、若い頃からロサンゼルスに定住していました。 バラードが得意なソロシンガーも、ブルース・ナンバーを好んで歌います。「SINCE I MET YOU BABY」のヒットを持つ、アイボリー・ジョー・ハンター( Ivory Joe Hunter)、「ドリフティング・ブルース」のチャールズ・ブラウンなど、まさにスローやバラードを得意とする、「クラブ・シンガー」的な人、また、ジャンプ・ブルースの方にウエイトを置いた「ダンスホール」的な人・バンドが沢山いました。 そんな感じなので、ブルース好きな私は、どうしてもウエスト・コースト系を聴く事が多いです。 テキサス出身のT・ボーンも早くからウエストコーストに引っ越してますが、ローウェル・フルスン(Lowell Fulson) も20歳頃には、オクラホマ州タルサからウエストコーストに移り住みました。1946年には「ビッグ・タウン」に初録音。その後、「スウィング・タイム」「チェッカー」「ケント」等に録音。「Reconcider Baby」「Three O'clock Blues」「Everyday I Have The Blues」など、スタンダードとも言える曲を録音しています。 → |
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イースト・コースト女性ボーカルのルース・ブラウンがヒットを出し、ジョー・モリス(Joe Morris)も、フェイ・アダムスなどの女性ボーカルをフィーチャーして、ヒット曲を出していました。また、コーラス・グループの台頭もあり、ジャンプ・ブルースや、アーバン的なブルースが人気の、ウエスト・コーストよりもR&Bに移行していくのが早かったようです。
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ニューオリンズいつの時代にも多くのミュージシャンを輩出してきた都市で、そのスタイルも洗練度の高いものから、南部的な荒削りなものまで、実に多彩な面を持っています。 キング・オリバー、ルイ・アームストロング、ジェリー・ロール・モートンなどの、ジャズの初期のミュージシャンも、この都市から沢山出ています。 ニューオリンズのR&Bにおける中心人物は、トランペッター・バンドリーダーの デイブ・バーソロミューで、自身の録音もさることながら、スマイリー・ルイスやロイド・プライス、さらにはファッ・ドミノの製作に関与し、他にもリトル・リチャード、などのロックン・ロール歌手のバッキングもし、多くの影響を与えました。 ポール・ゲイトゥンの楽団(一応、ビッグ・バンドの事です)も、やはり当時の定番とも言える女性ボーカルのアーニー・ローリーをフィーチャーし、1947年の「シンス・アイ・フェル・フォーユー」、さらに1950年「アイル・ネバー・ビー・フリー」とヒット曲を出します。 デイブ・バーソロミューもやはり、最初は女性の「ジョエル・キング」をボーカルにしていましたが、男性ボーカルの「トミー・リッジリー」のレコーディングもしています。この頃(1949年)は、まだジャンプ・ブルース的なスタイルでしたが、同じ頃の「ファッツドミノ」のレコーディングでは、ファッツ・ドミノの持ち味である、ゆったりしたバラード(ウエストコーストのチャールズ・ブラウン風)やカントリー(白人のC&W)的なボーカルスタイルでヒットを連発していきます。
参考サイト個別に詳しく書いてるokehさんのサイト
The Bobbettes
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