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ジミ・ヘンドリックス:ジャニス・ジョップリンジミ・ヘンドリックス(JIMI HENDRIX)Born:1942 : Died:1970 ワシントン州シアトル生まれ(本名:ジェームズ・マーシャル・ヘンドリックス)で、1963年から1965年の間は、アイズレー・ブラザーズ、サム・クック、リトル・リチャードなどのレコーディングやツアーのメンバーとして活動しました。サイドマンであるのに、パフォーマンスが目立ち過ぎた事もあったようです。たしかに目立ちます。 1966年に 、当時アニマルズのベーシストだったチャス・チャンドラーにスカウトされる形で 9月にロンドンへ行きます。ノエル・レディング(ベース)、 ミッチ・ミッチェル(ドラム)と「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」を結成し、1966年12月にシングル「ヘイ・ジョー」でデビューしました。 10月に ロンドンで行われたクリームのライブでは、エリック・クラプトンとジミ・ヘンドリックスが、早くもジャム・セッションをしています。ちなみに、7月にはジョンメイオール&ザ・ブルースブレイカーズ の「ジョンメイオール&ザ・ブルースブレイカーズ ウィズ エリッククラプトン」が出て、その後には、クラプトンが結成したクリームが「フレッシュクリーム」でデビューしたのもこの年です。 8月には ビートルズがアルバム「リヴォルバー」をリリースして、サンフランシスコで最後のコンサートを行ない、「ライブ活動をやめる」と言う、宣言までしています。ロック界がもの凄く動いていたんだなと、改めて感じる頃です。 翌年には、 ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラヴ・バンド」と言う、歴史的なコンセプト・アルバムをリリースし、一方、サザン・ソウル界では、スタックス・レコードのトップ・アーティスト「オーティス・レディング」の乗ったチャーター機が、ウィスコンシン州のモノナ湖に墜落し、26歳の若さで死亡してしまいました。 1968年の4月4日には、公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師がメンフィスで暗殺され、黒人であれば掛替えの無い存在が消えてしまいました。ジミ・ヘンドリックスも、ビー・ビー・キング、バディ・ガイと共に、ニューヨークのクラブでブルースを演奏して追悼しました。 7月に、C・C・R(クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバル)が「スージー・Q」 でデビューします。この頃には、アル・クーパーとマイク・ブルーム・フィールドらが歴史的ジャムセッションを行うわけですが、当時の私は、「ビートルズ」や「C・C・R」をリアルタイムで聴いていて、2年ほど後から「スーパー・セッション」を聴いたのですが、今考えると、このような事が同じ頃にあったんだと、感慨深いものがありますね。 翌年の69年には、マジック・サムがシカゴの自宅で心臓発作を起こし、この人も32歳の若さで亡くなっています。この年に「アン・アーバー・ブルース・フェスティバル」に出演して、素晴らしい演奏を残していきました。 そして、何度となく見た、当時は一番好きだったビートルズが、アップル社の屋上でやった「ゲット・バック」もこの年なんですね。この年は、有名なウッド・ストック・コンサートも行われた、ロック世代にとっては記憶に残る年だと思います。 ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスアー・ユー・エクスペリエンスト(1967年) 1966年12月にシングル「ヘイ・ジョー」でデビューして、ライヴの評判が上昇するとともに、たちまちロック界を代表するビッグ・スターになります。これは1967年5月のデビューアルバムに、それ以前のシングル3枚のAB面を加えたものです。以後のライブでもベースとなる、良い曲が揃ったこのアルバムは必聴です。 アクシス:ボールド・アズ・ラヴ(1967年)半年後の11月リリースされた、「アー・ユー・エクスペリエンスト」に続くセカンド・アルバムです。サイケな曲から「リトル・ウイング」といったバラードまで、どれもジミ・ヘンの凄さを感じます。やはり、何かが憑いているといった感じで、次々といろんなものが湧き出すんでしょうね。 エレクトリック・レディランド(1968年)
エクスペリエンスのサード・アルバム。このアルバムでエクスペリエンスは解散します。このアルバムがベストと言う声も多いです。 ※取り上げてませんが、2作目と3作目の間にベスト盤があります。 バンド・オブ・ジプシーズバンド・オブ・ジプシーズ(1970年)エクスペリエンスとしての活動は1969年6月までで、ベースのノエル・レディングが脱退し、ジミはミッチ・ミッチェルと、軍隊時代(ジミは音楽活動前に徴兵を済ませています)からの友人、ビリー・コックスと共にジプシー・サンズ&レインボウズとして活動を開始します。ウッドストック・フェスティバル(必見、必聴)に参加したりしますが、10月にはミッチ・ミッチェルに替わり、バディ・マイルス(ドラムス)が入り、バンド・オブ・ジプシーズを結成します。
新バンド「バンド・オブ・ジプシーズ」のライヴ盤です。ドラムスの重量感が増して、バンドの演奏も安定感があります。好みの問題になりますが、私はこのアルバムが好きで、よく聴きました。ワウペダルも凄いなと思いました。 おそらく、ジミが録音の最終段階(ミックス・ダウン)までつきあったのは、これが最後だと思います。 1970年の6月に発売され、8月には次のアルバムのレコーディングも終えて(ミックス・ダウンはまだ)、ヨーロッパへ行きます。 ワイト島フェスティヴァルとラヴ・アンド・ピース・フェスティヴァルに出演しましたが、その後の9月18日に ロンドンのホテルで昏睡状態に陥り急死してしまいます。 享年は27才ですが、何か天才的な人はこのくらいの年齢で亡くなる人が多いような・・・
ジャニス・ジョップリン
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