エリック・クラプトンとビー・ビー・キング・メニューエリック・クラプトンとビー・ビー・キング|ビー・ビー・キング|エリック・クラプトン|クラプトン2|クラプトン3|前ページへ戻るブルース・ロック(米国1)|エリック・クラプトン2010年追加版| |
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エリック・クラプトンの概要 Eric Claptonエリック・クラプトンの生い立ちBorn : 1945 エリック・クラプトンは1945年にイギリスのリプリーという街で生まれました。イギリスの戦後の状況でも書きましたが、ちょうど終戦の頃ですから、第二次大戦中にアメリカ兵が持ち込んだアメリカのレコード(ブルースも含む)を聴いて育った年代です。 父親はカナダ軍の兵士で、すでにカナダで家庭を持っていました。母親はまだ16歳と言う若さで、その後に別の男性とドイツで結婚してしまいましたから、母の母(祖母)に引き取られたようです。その祖母の再婚相手(義理の祖父)との子供として育てられると言う複雑な家庭環境でした。 エリックに優しくしてくれる、「エイドリアン」と言う15歳上の叔父(戸籍的には兄)がいて、彼が好きだった「ベニー・グッドマン」などの、1940年代から1950年代にかけてのジャズなどを一緒に聴いて育ちました。 10代になる頃には、アメリカではロックンロールが流行し、チャック・ベリーなどを聴くうちに、ブルースを知っていったのでしょう。マディ・ウォーターズ(マディは58年に渡英しています)などを聴き、1961年にロバート・ジョンソンのアルバム(キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース・シンガーズ)とめぐり合います。この頃からはブルース一筋と言う感じで、翌年1962年から始まる「ブルースマン達のヨーロッパ・ツアー」で多くのブルースマンを直に見ました。 エリック・クラプトンのバンド経歴と代表作ヤード・バーズ本格的なバンドは、1963年のヤードバーズ(後にジェフ・ベック、ジミー・ペイジも在籍)で、1963年に結成されたヤードバーズのギターがすぐに脱退した為、ボーカル「キース・レルフ」の友人だった、エリック・クラプトンが後任として加入しました。1964年「アイ・ウイッシュ・ユー・ウッド」でデビューしました。その後バンドはポップ志向が強くなり、ブルース志向の強いエリック・クラプトンは間もなく脱退してしまいます。 レコード・デビューの直前に行われた「マーキー・クラブ(1964年3月)」でのライブ録音が65年1月になってアルバム「FIVE LIVE YARDBIRDS」として発売されました。 ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトンジョン・メイオールは1933年、イギリスのマンチェスター生まれです。父親の影響もあり、マディ・ウォータースやサニー・ボーイ・ウィリアムソン等を聴いていたらしく、ブリティッシュ・ブルース・シーンでは、最も重要な人です。1955年にはマンチェスターで「パワーハウス・フォー」というバンドを作り、1962年になるとバンド名を「ブルース・ブレイカーズ」に改名して、活動の場をマンチェスターからロンドンへ移します。 エリック・クラプトンが加入したのは、1965年で翌年に一枚のアルバムを残しただけで脱退します。エリック・クラプトンとしては、ブルースだけをやるバンドは、このバンドだけではないでしょうか。 クリーム(Cream)1960年代後半の傾向として、有名バンドの実績あるスターたちが集まって、スーパー・グループが多く結成されました。その中でも1966年に結成されたクリームは、代表的なバンドです。当時のクラプトンは、ヤードバーズから、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズに在籍して、すでにギターの神様と呼ばれるほどになっていました。 デビュー前から注目されていた彼らは、1966年にファースト・アルバムを出します。少々地味でそれほどでもなかったようですが、二作目の「カラフル・クリーム」は、名曲「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」もあり大ヒットしました。さらに「ホワイト・ルーム」や「クロスロード」を含む三作目の「クリームの素晴らしき世界」でトップ・バンドとしての地位を築きました。 それぞれに個性の強い天才的な集団は、なかなかまとまらないものです。特にジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーは、ライブの途中でも喧嘩をしてしまうほどで、三年程の活動で1969年には解散します。 ERIC CLAPTON エリック・クラプトン(ギター、ヴォーカル) フレッシュ・クリーム - Fresh Cream(1966年)カラフル・クリーム - Disraeli Gears(1967年)クリームの素晴らしき世界 - Wheels of Fire(1968年)グッバイ・クリーム - Goodbye(1969年)ライヴ・クリーム - Live Cream(1970年)ライヴ・クリーム Vol.2 - Live Cream Volume 2(1972年)ほとんどの代表曲が入ったベスト盤 まったく衰えを感じない素晴らしいライブ。 ブラインド・フェイス(Blind Faith)エリック・クラプトンとジンジャー・ベイカーは再度組んで、同じ年に、やはりスーパー・グループとして存在した「トラフィック」のキーボーディスト、スティーヴ・ウインウッドと、ローカル・バンドで活動していたベーシスト、リック・グレッチの4人でブラインド・フェイスを結成します。 当時21歳のスティーヴ・ウインウッドは、18歳の時に「トラフィック」のリーダーになったほどで、天才キーボーディストとして有名でした。しかし、このバンドもアルバム1枚を残し、1年で解散してしまいます。ブルース志向のクラプトンと、ジャズ志向的な3人があまり合わなかったようです。 その1枚です 1.HAD TO CRY TODAY 泣きたい気持ち Eric Clapton - guitar, vocals
2000年になり、「2000 Deluxe Edition」と言う、リマスターに追加曲(ブルース的でクラプトン・ファン向き)が加えられ、2枚組で発売されました。音質も評判良く、ライブの音源も追加され、ひじょうに充実した内容です。 追加曲 DISK-2 |
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