まさに、ハウリン・ウルフと言う名前が持つイメージどおりの歌声です。私はこの人の歌を聴いて、ブルースに本格的にハマル事になりました。最初に聴いたブルースマンではないのですが、決め手になった人です。「フォーティー・フォー」のインパクトはすごかった・・・
ハウリン・ウルフはマディ・ウォーターズと並ぶシカゴ・ブルース界のビッグ・ボスです。ハウリン・ウルフ(本名:チェスター・アーサー・バーネット:Chester Arthur Burnett)1910年ミシシッピー州ウェスト・ポイント(アバディーン説もあり)生まれで、23年にデルタ地帯のルールヴィルに引っ越します。
ここはデルタブルースの祖と言われる「チャーリー・パットン」が住む「ドッカリー(ドッケリー)農園」の近くで、10代の後半頃にはパットンから直接教わった事もあるようです。この頃(29年)にパットンは初録音をしています。農園にはデルタ屈指のギタリスト「ウィリー・ブラウン」もいたようです。
ハウリン・ウルフはテキサスの「ブラインド・レモン・ジェファーソン」も好きで、こちらはレコード(26年からあり)で聴いていたようです。
33年にアーカンソー州パーキンに移り、41年に陸軍に召集されるまで住んでいます。この頃にサニーボーイ・ウィリアムソン二世(ライス・ミラー)とウルフの義理の妹が結婚し、ロバート・ジョンソンとも一緒に演奏したりしています。ジョニー・シャインズもこの頃はロバート・ジョンソンと行動を共にしたりしています。けっこういろんなところで繋がってるんですね。
46年に除隊して、48年にはメンフィスに出ていろんなブルースマンと知り合います。40年代の後半頃の活動拠点は、やはりメンフィスで、当時は周りに、ギターのパット・ヘア、ウィリー・ジョンソン、ハープのジュニア・パーカー、まだ13歳だったジェームス・コットン、などの草創たるメンバーがいました。
組んだバンドのメンバーは正確にはわかりませんが、マット・マーフィー、ジュニア・パーカー、パット・ヘア、ウィリー・ジョンソン、ジェームス・コットン、ヒューバート・サムリンと言った人達のようです。すごい顔ぶれですが、ハウリン・ウルフの歳はもう40近いですよね。
そこではラジオの番組も持っていて、あの声ですから、知らない人はいなかったのではないでしょうか。まさにメンフィスもシカゴに負けずブルースが盛んでした。
この頃はラジオ局も増えてきた頃ですし、メンフィスでは、ウルフもやったようにビー・ビー・キングもDJをやってました。サニーボーイ・ウィリアムソン二世はアーカンソー州ヘレナでキング・ビスケット・タイムのDJを長年やりましたから、やはりラジオが重要だったんですね。
ジュニア・パーカー、エルヴィス・プレスリーなどで有名なサン・レコードが50年に設立されますが、社長のサム・フィリップスは自社で録音した音源をチェスに売ったりしていたようです。それで、モダーン・レコードのスカウトマンをしていたアイク・ターナー(この人もいつでもどこでも出てきます。ティナ・ターナーの旦那さん)もからみ、ハウリン・ウルフのレコードは二社から交互に出ました。
最初はチェスから「ハウ・メニー・モア・イヤーズ」が出て大ヒットし、53年からはシカゴで録音をするようになります。ですから2年間くらいはモダーン・レーベルがあります。録音はサンで行なわれたものだと思います。
いよいよシカゴでのハウリン・ウルフ・バンドの活動が始まりますが、メンバーはメンフィスまで戻りウィリー・ジョンソンとヒューバート・サムリンを連れてきます。やはりメンフィス・アグレッシブ・ギターでないと、ハウリン・ウルフの歌は生きないと言う事だと思います。
また、ハウリン・ウルフのハープはあまり上手いとは思えませんが、素朴な感じが妙に合っていると思う時もあります。ギターもよく持っていますが、彼のバンドにはジョディー・ウイリアムズ、ヒューバート・サムリンと言った、個性的なギタリストが常に在籍していましたから、こちらも聴きものです。
ハウリン・ウルフの場合、シカゴのチェス・レコードで多くのレコードを出していますが、バック・ボーンになっているのは、常に南部のアグレッシブなブルースであり、メンフィスこそがハウリン・ウルフを形成した街と言えるでしょう。
モーニン・イン・ザ・ムーンライト1970年頃までに、チェスからアルバムとしては4枚がリリースされていました。これは、最初のアルバムで、2枚目のアルバム(下)との2イン1のCDです。 良い買い物だと思います。私はこの人の歌声を聴いてから、本格的にブルースに取りつかれたのでした。 あの時のインパクトはそれまでの音楽観を覆されるものでした。「こんな人がいるんだなあ」と感心、感動しました。1950年代の絶頂期をお薦めします。 アルバムとしては最初のもので、ウィリー・ジョンソンとジョディー・ウイリアムズのギター、さらに、ヒューバート・サムリンのギターがサポート。このアルバムではジョディー・ウイリアムズは特にカッコ良いです。 |
ハウリン・ウルフモーニン・イン・ザ・ムーンライト
上のアルバムに続くアルバムで、ポップ度があがっています。 ヒューバート・サムリンが専属的にギターを弾くようになったアルバム。ジミ-・ロジャースも参加しています。こちらはウィーリー・ディクソン(ベーシストで作曲・プロデュースも手がける、チェス・レコードの屋台骨的な人)の馴染みやすい曲が多いです。 |
リアル・フォーク・ブルースと
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THE BEST OF HOWLIN' WOLFベスト・オブ・ハウリン・ウルフ上述のように、1969年までに、チェスからアルバムとしては4枚がリリースされていました。 これは1970年代に出た日本編集のベスト盤ですが、デビュー・シングル「SADDLE MY PONY」と、ウルフのベスト・テイクとも言われたりする「I WALKED FROM DALLAS」が入っていて、確かに「I WALKED FROM DALLAS」は最高にシビレました。
ベスト盤です。4枚のアルバムからのセレクト盤で、上2枚と重複曲もありますが、ラストの「I WALKED FROM DALLAS」ではヒューバート・サムリンの炸裂ギターが聴かれます。 |
THE BACK DOOR WOLF(1973)バックドア・ウルフ最後のアルバムとなったものです。録音も良くて内容も充実しています。ここでも、1曲目からヒューバート・サムリンならではのスリリングなギターが良いです。 勿論、ボーカルあってのブルースですから、ボスのウルフはいつでも最高なのですが、ジミ・ヘンドリックスもエリック・クラプトンも大ファンだったヒューバート・サムリンは、個性派の中でもかなり際立っています。 |
300 POUNDS OF THE BLUES(1963)300パウンド・オブ・ザ・ブルース
これは、下の番外編、「The Chess Box」の3枚組に半分ほど入っています。
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ハウリン・ウルフとマディ・ウォーターズとボ・ディドリーの三人によるセッションです。ウルフとマディは、かなりライバル意識むき出しで、ボ・ディドリーはマイペース。
以前はそれほど聴きませんでしたが、今になると、この三人のセッションが聴ける事が単純に嬉しいです。最近の愛聴盤。
イギリスのロック・プレイヤーとのセッション。「フーズ・ビーン・トーキン」なんかは、かなり良いです。
日本盤:
ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ
3枚組CDで、チェスの75曲が網羅されたものです。チェスではこの2倍くらいの録音がありますが、だいたいを把握するには、これが一番手っ取り早いかもしれません。
ウルフは駄作が少ないですから、これから聴く方には、これをお薦めします。
こちらは、51-60年までの録音です。重複はあります。