Complete Recorded Works, Vol. 1(1923-1924)
Complete Recorded Works, Vol. 2(1924-1925)
Complete Recorded Works, Vol. 3(1925-1926)
Complete Recorded Works, Vol. 4(1926-1927)
Complete Recorded Works: 1928 Sessions
音楽的には、時代が下るにつれ楽器を所有できる黒人も増えてきて、管楽器などを演奏出来る人も増えてきました。やがて、ブルースの器楽的なものも広がり、ジャズの原形が出来てきます。
ラグ・タイムやミンストレルショーが源流となるジャズですが、そこには当然ブルースの影響があり、この頃(1920年代)の録音には、やたらと「○×ブルース」と言うものが多いのも特徴です。
Woman's Trouble Blues
ベッシー・スミス40曲入り
「BESSIE SMITH(ベッシ-・スミス)」は、1923年から1931年までコロムビアで160曲程の録音をしています。ニューオリンズのルイ・アームストロングも1年後にフレッチャー・ヘンダ-ソン楽団に入ります。ベッシ-・スミスの伴奏もしています。
そして、彼女に認められて、ビリー・ホリディが出てきます。ですから、この頃のブルースに対するアメリカ全般の認識は、彼女達が歌うスタイルのブルースでした。
The Best of Blind Lemon Jefferson [Yazoo]
最初に録音された弾き語りのカントリー・スタイル歌手は、1924年頃ですが、成功したのはテキサスの『ブラインド・レモン・ジェファーソン』の1926年が最初のようです。
この後からフィールド・トリップ(現地での録音)が始まり、南部の音楽(ブルースも含む)がレコ-ドとして紹介され始めます。
ブルースの巨人(3)
パットン
伝説のデルタ・ブルース・セッション1930
パットン、サンハウス他、オムニバス盤
当サイトが最も多く取り上げるブルース・スタイルであるシカゴ・ブルースの原点は、南部のデルタ地帯にあります。そして、その元祖的に言われる人が"CHARLIE PATTON"(チャ-リー・パットン)です。
この頃の南部の黒人の記録は、正確な生年はもとより、録音年などの信憑性も危ぶまれますが、1929年~34年の間には、かなりの録音をしているようです。
"SON HOUSE"(サン・ハウス)も、1930年に初録音をしています。(この人の録音は少ないのですが、60年代に再び発見され、録音を残します。)サン・ハウスはロバート・ジョンソンにもギターを教えたりしている人です。
この人の迫力はスゴイです。プリーチン(説教)が得意です。この顔で説教されたら説得力ありそうです。
King of the Delta Blues Singers
17曲入り
The Complete Recordings
2ディスクの41曲入り
デルタ・ブルースで最も有名と思われる"ROBERT JOHNSON"(ロバート・ジョンソン)は、1936年から録音があるようです。ロックの人達に多くカヴァ-された事で、私などもよく聴いた人です。
若くして亡くなった事や、写真が残っていないなど(後に発見)、伝説的な存在でした。哀愁を帯びた声と共に、イラストのジャケットが非常に印象的でした。南部では、ホテルの一室などを借りて、こんな感じで録音をしていたのですね。
クリップル・クラレンス・ロフトンは曲のタイプも、ブギ・ウギからスロー・ブルースまで広く、また歌もよく歌いますから飽きません。私としては一番愉しめるブギ・ウギ・ピアニストです。 1896年(1887年説もある)が生年で、1957年が没年です。正確かどうかは疑問ですが、1930年代にブギ・ウギの録音をした人達の中では少し年長(10歳くらい)です。
彼は生まれつき足が悪かったらしいですが、踊りながら弾いたり、後ろ手に弾いたりのサーカスのようなプレイをしたそうです。多くのカヴァーで有名な「I DON'T KNOW」も彼のテイクが原型のようです。名曲と言うか、名スタイルと言える曲です。
この クリップル・クラレンス・ロフトンがありました。
Complete Recorded Works (1935-39)
Complete Recorded Works (1939-43)
タイトルの録音年にあるように、2枚聴くと10年間くらいの録音がほとんど聴けると思います。
禁酒法が続くこの頃は、毎夜いたる所でハウス・レント・パーティーが行われ、ピアニストは引っ張りだこでした。かなりの有名・無名のピアニストがいたようです。それでも録音が少ないのは、鑑賞音楽とは考えられていなくて、あくまでもダンスの伴奏として、パーティーのセットの一部のように思われていたからです。そして世界恐慌になり、レコード業界そのものが根底から覆され、数年間の間レコーディングそのものが中止されていたなどの事情があります。
1920年頃は、シカゴの黒人人口がどんどん増えて、約10万人を超えていました。当然ブルースをはじめとした、音楽需要も増えるでしょうし、いろんなミュージシャンも集まってきます。
1928年に録音されたパイントップ・クラレンス・スミスの「Pinetop's Boogie Woogie」は、曲のタイトルに「ブギ・ウギ」と付く最初の曲と言われています。しかし翌年に拳銃の流れ弾に当って死亡し、残された録音は20曲ほどしかありません。彼が偶然住んだアパートには、当時組んで演奏していたと言うミード・ルクス・ルイスとアルバート・アモンズが住んでいたと言う事も、縁とは言え不思議なものです。早世しましたが、後のブギ・ウギ・ピアニストへの影響も強い人です。右に掲載したアルバムで11曲聴くことができます。
そのパイントップ・スミスと仲が良かったのが、カウ・カウ・ダヴェンポート(チャールズ・エドワード・ダヴェンポート)です。汽車の音を模したという、やはり1928年にヒットした「カウ・カウ・ブルース」は後のピアニストがよくカヴァーした曲(スタイル)で、クリップル・クラレンス・ロフトンなどにも影響を与えています。ニックネームのカウ・カウはもちろん曲からとりました。
Charles "Cow Cow" Davenport 1926-1938
ジミー・ヤンシーはシカゴ生まれですが、ヴォードビルを10年くらいやっていて、いろんなスタイルを持っています。シカゴに戻り定着してからは重要なブギ・ウギ・ピアニストの一人になります。
入手しづらいかもしれませんが、ぜひ聴きたいところです。 |
Boogie Woogie, Vol. 1: Piano Soloists
ジミー・ヤンシー、パイントップ・スミス、カウ・カウ・ ダヴェンポートの3人が聴けるオムニバスがあります。他にも当時の名手の名演が聴けて、これは楽しめます。ちなみにロフトンの「ストリームライン・トレイン」が収録されていますが、この曲は「カウ・カウ・ブルース」の影響を受けて作られたようです。
1. Pinetop's Boogie Woogie - Clarence Smith
2. Jump Steady Blues - Clarence Smith
3. Detroit Rocks - Montana Taylor
4. Indiana Avenue Stomp - Montana Taylor
5. Dirty Dozens - Rufus G. Perryman
6. Wilkins Street Stomp - Rufus G. Perryman
7. Head Rag Hop - Romeo Nelson
8. Cow Cow Blues - Charles "Cow Cow" Davenport
9. State Street Jive - Charles "Cow Cow" Davenport
10. Yancey Special - Jimmy Yancey
11. Midnight Stomp - Jimmy Yancey
12. Streamline Train - Clarence Lofton
13. I Don't Know - Clarence Lofton
14. Shout for Joy - Albert Ammons
15. Bass Goin' Crazy - Albert Ammons
16. Yancey Special - Meade "Lux" Lewis
17. Honky Tonk Train Blues - Meade "Lux" Lewis
18. Blues on the Down Beat - Pete Johnson
19. Kaycee on My Mind - Pete Johnson
20. Ross Tavern Boogie - Art Hodes
2ディスクなので、かなり聴けます。まとめて聴くならこれですね。内容もとても良いです。
The Boogie Woogie Trio, Vols. 1-2
「ピート・ジョンソン」と「アルバート・アモンズ」と3人で活動する事が多かったようで、3人のオムニバス盤も見かけます。このアルバムにも、アルバート・アモンズとのセッションも入っています。この人のプレイは「トイ・ピアノ」のような、不思議な音で演奏している曲もあり、なかなか面白いです。「HONKY TONK TRAIN BLUES」が3曲も入っていますが、ブギ・ウギを世間に知らしめた曲とも言われていますから、思い入れがあるのでしょう。
かなりR&Bに近いものを感じます。私にはほとんど区別できません。ピアノだけでの曲と管楽器(トランペット)やドラムが入っているテイクが半々というところですが、ブギ・ウギにしても、ブルース・ナンバーにしても、完成度の高さがあり、すごく良いなと感じます。
同じ頃にはカンザス・シティでは「カウント・ベイシー」が活躍し、「ルイ・ジョーダン」も41年には録音を始めていますから、すでにジャンプ・ブルースの形も出来ていたでしょうし、放浪するカントリー・ブルースマンなどとも影響しあっているのでしょう。 やはり、30年代のこれが良いですね。
この人は自分のバンドがあったみたいで、バンドでの曲が多いです。トランペットやドラムなどが入ると、ほとんどジャンプ・ブルースや、ジャズ・バンドのように聴こえます(私には)。
Albert Ammons : Classics, 1936-1939
The Chronological Albert Ammons1936-1939
Alternate Takes Radio Performance
やはり、シカゴあたりではいろんな要素が混在して、どんどん取り入れてる感じがします。左手のべースラインなどは、後のブルースバンドやロックンロールバンドのベーシストが取るようなラインをガンガンやっています。やっぱりブルースは良いなと感じてしまいます。古い時代の演奏力の高さにも驚きます。
ミード・ルクス・ルイスとアモンズとの演奏です。これも良いです。
The First Day; Blue Note's First Recording Session of January 6, 1939
1932年から34年にニューヨーク、セントルイスで録音されたものが収められています。相棒のギター「スクラッパー・ブラックウェル」もいいです。あと、ギターで「ジョッシュ・ホワイト」も数曲参加してます。
リロイ・カーは1905年に、テネシー州ナッシュビルで生まれ、子供の頃にインディアナ州インディアナポリスに移り住んでいます。シカゴにも近い都市で、家庭にもピアノがある環境ですから、当時の黒人としては恵まれていたと思います。ずっと一緒に活動したギターのスクラッパー・ブラックウェルは1903年にノース・キャロライナで生まれています。
二人は10代の後半にインディアナポリスで知り合います。密造酒を作ったりしていましたが、1928年にはレコーディングを始めています。二人のレコードはどれもヒットした感じで、たりまちシティ・ブルースのスタイルとして、ピアノとギターのデュオが定着しました。
二人とも大酒飲みで、自分でも造っていたくらいですから、浴びるほど飲んだ挙句、リロイ・カーは1935年、内蔵がやられて急死しました。スクラッパー・ブラックウェルは、そのショックから立ち直れず、ギターをやめてしまいました。
比較的北部出身の二人ですから、南部デルタのブルースとはかなり違った雰囲気です。きちっとした歌と演奏と言う感じです。デルタ・ブルースのドロッとした重さはなく、軽快な感じがします。
リロイ・カーはシティ・ブルースの確立者と言われますが、この頃にレコーディングしているカントリー・ブルースと言うと、ブラインド・レモン・ジェファーソンやチャーリー・パットン、サン・ハウスといった人達がいます。不況後にレコード業界も録音を再開して、現在も語り継がれるブルースの初期のレコードがどんどん録音され始めた時代と言えます。
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戦前のシカゴ・シティ・ブルースのレーベルとして有名な「ブルー・バード」は、1933年に始まりした。ギタリストでは、この人やスライドの魔術師と言われた「タンパ・レッド」が代表格でしょうか。
戦後のマディ・ウィーターズやハウリン・ウルフのエレクトリック・ブルース・バンドから 聴き始めている私などは、40年位前にオムニバス盤などで、少しばかり聴いた程度で、最近になって改めて聴いている時代です。ただ、ほんの数年くらいしか離れていないのと、マディ・ウィーターズ自身が「ビッグ・ビル・ブルーンジー」をリスペクトしていて、活動時期もかなり重なっています。
もちろん「ビッグ・ビル・ブルーンジー」や、その周辺の人達の名前や音楽スタイルは知っているので、特別な新鮮さは無いのですが、どうも歳のせいか古いものが良いと感じる最近です。
ブルー・バードでは、「ブルーバード・ビート」と呼ばれる軽いコギミの良い軽快なリズムがありました。それがひじょうに受けたのですが、バックを付ける人達がお互いに持ち回りと言うか、代わり映えのしないメンバーでの録音が多かったので、必然的にマンネリ的な感じとなりましたが、今聴くと当然ですが、全然気になりません。
1937-1940, Vol. 2 Big Bill Broonzy ビッグ・ビル・ブルーンジーも、1930年代の半ばから40年代半ばの10年間くらいが良いと思います。あと、早世したので録音は少ないですが、サニー・ボーイ・ウィリアムソン1世の伴奏も40年頃に付けていて、良い感じです。
ビッグ・ビル・ブルーンジーの初録音は、1928年のパラマウント・レコードからの「スターベーション・ブルース」で、ジョン・トーマスとのギター・デュオです。
When the Sun Goes Down, Vol. 8: Bluebird Blues
Sonny Boy Williamson (I)
※サニー・ボーイ・ウィリアムソン1世(ジョン・リー・・ウィリアムソン)と2世がいますが、どちらも素晴しいブルースマンです。2世(ライス・ミラー)の方が年長で、メンフィスのラジオ番組(キング・ビスケット・タイム)のDJをやっていました。
King of the Chicago Blues Piano
大ヒットしたワリード・ライフ・ブルース(Worried Life Blues) はブルースのスタンダード・ナンバーと言えます。ピアニストのみならず、ビー・ビー・キングやジュニア・ウェルズ他、多くの人がレパートリーにしています。
リロイ・カーと同じく30年位前に出ていた、もの凄く有名なアルバムです。(二枚組)シティ・ブルースの代表的なスタイルである、ピアノとギターのデュオでも、傑出した存在と言えます。
ビッグ・メイシオは1940年代の最も影響力のあるブルース・ピアニストの1人で、1905年、アトランタで生まれたとされています。 リロイ・カーと同じ年ということになりますが、初レコーディングは10年程遅れてからです。
1941年にシカゴに出て、ギタリストのタンパ・レッド(Tampa Red)と出会います。1946年までの間、一緒に活動し多くの録音を行なっています。タンパ・レッドは洗練された美しいサウンドのスライド・ギターを弾く人で「魔術師」と呼ばれました。この頃の重要なシティ・ブルースマンです。スクラッパー・ブラックウェルとは異なり、多くの個人録音があります。
ビッグ・メイシオのピアノスタイルは、ブギ・ウギのスタイルとリロイ・カーのブルース・ピアノの両方を継承している感じです。タッチの強いプレイ・スタイルは、ブルース・ピアニスト達に強い影響を与え、50年代にマディ・ウォーターズ・バンドで活躍した、オーティス・スパンなどもその一人です。
ニューオーリンズの対岸の町「アルジャーズ」で生れました。生年は1897年の説もあります。10歳頃にメンフィスの近くに引越して、その頃にはバンジョー、ギターをマスターし、10代の半ばには流しの仕事やサーカスの仕事もしていたそうです。 かなりの女傑なわけですが、歌もギターも力強くて当時のシティ・ブルースマン達の中に入っても、一歩もひけを取らない存在でした。 1920年代の女性ボーカルが主役だった古典ブルースが下火になり、その後の女性ブルースシンガーでは一番活躍した人かも知れません。
Hoodoo Lady 1933-37 | Queen of Country Blues 1929-37 |
最初の結婚相手は9歳年下のスチール・ギターの名手「ケイシー・ビル・ウェルドン」で、この人はメンフィス・ジャグ・バンドのメンバーでもありました。その後離婚し、ジョー・マッコイと再婚して「カンサス・ジョー」と「メンフィス・ミニー」のコンビで1929年から1935年に離婚するまで、かなりの録音を行っています。このコンビで1929年にレコード・デビューし「バンブル・ビー」が大ヒットしました。 1939年に、「リル・サン・ジョー」と3度目の結婚をして、1950年代までコンビやバンドとして活動します。とにかく溌剌としてカッコ良いのです。
メンフィス・ミニーの2回目の結婚相手のジョー・マッコイは、ミニーとのコンビ名ではカンザス・ジョーを名乗っていましたが、他にもハレルヤ・ジョー他、10個くらいも芸名を使ってました。どうも、いろんな活動をした人のようで、当時のミュージシャンは隠れて複数のレコーディング契約をしていることもあったようで、使い分ける必要があったのでしょう。
元々、とても器用な人で、トミー・ジョンソンのようなジャクソン・スタイルから、スキップ・ジェームスのようなベントニア・スタイルの曲もやっています。 彼は兄のチャーリー・マッコイ(マンドリン等)や、ハーブ・モランド(トランペット)、オーデル・ランド(クラリネット)、ホーレス・マルコム(ピアノ)達と、「ハーレム・ハムファッツ」と言うバンドを作っていました。
Harlem Hamfats 1 | Harlem Hamfats 2 |
Romance in the Dark |
1930年代のシカゴでは、ハーモニカよりも管楽器がフロントに立つことが多かったようです。 このバンドがなかなかシャレていて、シティ・ブルースとも言えると思いますが、かなりジャズの雰囲気があり、「ロゼッタ・ハワード」の伴奏などは何とも良い感じです。ジョー・マッコイとホーレス・マルコムが作った曲「Why Don't You Do Right?」は、リル・グリーンが歌って、1941年にヒットしました。