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ブルースとは

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概要

初期のブルース・アルバム

古典とカントリー

古典ブルース

 音楽的には、時代が下るにつれ楽器を所有できる黒人も増えてきて、管楽器などを演奏出来る人も増えてきました。やがて、ブルースの器楽的なものも広がり、ジャズの原形が出来てきます。

 ラグ・タイムやミンストレルショーが源流となるジャズですが、そこには当然ブルースの影響があり、この頃(1920年代)の録音には、やたらと「○×ブルース」と言うものが多いのも特徴です。

 一般的にニューオリンズがジャズの起源として言われますが、そんなに単純ではなく、もっと色々な所で色々なスタイルで進化、融合してきたものだと思われます。

これも、1900年頃にはバンド形態をとったものがあったようです。旅興業なども色々なスタイルが生まれ、1920年頃には興業を仕切る組織(TOBA)も生まれます。

 その頃迄のブルースは、ギターやバンジョーを弾きながら歌うカントリー・スタイルが普通でしたが、バンドをバックに歌う歌手も出てきました。この様な、バンドをバックにして歌う歌手は女性がほとんどで、男性は弾き語りが多かったのも特徴です。

  そして、最初にブルースが録音の対象になったのは、前者の方でした。アメリカの大衆がブルース音楽を知ったのは、MA RAINEY(マ・レイニー)などの女性歌手のレコードからでした。

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ブギ・ウギ

boogie-woogie

 ブギ・ウギハウス・レント・パーティージューク・ジョイントでよく演奏されました。不況下でレコードの製作が数年間中止されていて、再開されたのが33年頃とされてますから、レコードとして聴かれるのは1930年代の中頃からが多くなります。

 ブギ・ウギ以前の音楽なのでしょうが、1920年代のジャグ・バンドのレコードなどを聴くと、ブルースもかなりやっていたりします。楽器が面白いですから、ちょっとは聴いてみるのも良いと思います。(アルバム1枚は飽きたりしますが・・・)

 このような多様な音楽から、ブルースの王道とも言えるブギ・ウギのリズムが生まれてきたんでしょうね。シカゴではピアノが主流のようでしたが、南部などに行けば、ギターを抱えたブルースマンもブギのリズムを演奏してたんでしょう。いずれにしても、ブギ・ウギと言う言葉はこの頃に使われ始めたようです。

 ちなみに、ハウス・レント・パーティーというのは、間借りをしている人が家賃を捻出するために、自分のアパートの部屋なりをパーティー会場にして、会費を集め、酒を出し、ピアニストの一人二人に演奏をしてもらい、そのアガリを家賃にしたものです。南部時代から慣習的にやられていたようです。

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シティ・ブルース

City Blues

 シティ・ブルースは、きっちりとした演奏が特徴で、このページで取り上げたものは、どれも名盤と言えます。曲は勿論、歌も演奏も素晴しいです。

 この後、戦後の40年代後半~50年代には、エレクトリック・ギターが人気になり、ハーモニカもアンプを使い、かなりロックに影響を与える方向になって行きます。やはり、洗練されたものにも飽きが来て、荒いサウンドが好まれるようになるのも、ひとつの周期のようなものですね。

 ジャズも、スゥイングの整った演奏から、ビ・バップのエキサイティングなものが好まれるようになるのもそうです。

 戦前のシカゴ・シティ・ブルースのレーベルとして有名な「ブルー・バード」は、1933年に始まりした。ギタリストでは、この人やスライドの魔術師と言われた「タンパ・レッド」が代表格でしょうか。

 戦後のマディ・ウィーターズやハウリン・ウルフのエレクトリック・ブルース・バンドから 聴き始めている私などは、40年位前にオムニバス盤などで、少しばかり聴いた程度で、最近になって改めて聴いている時代です。ただ、ほんの数年くらいしか離れていないのと、マディ・ウィーターズ自身が「ビッグ・ビル・ブルーンジー」をリスペクトしていて、活動時期もかなり重なっています。

 もちろん「ビッグ・ビル・ブルーンジー」や、その周辺の人達の名前や音楽スタイルは知っているので、特別な新鮮さは無いのですが、どうも歳のせいか古いものが良いと感じる最近です。

 ブルー・バードでは、「ブルーバード・ビート」と呼ばれる軽いコギミの良い軽快なリズムがありました。それがひじょうに受けたのですが、バックを付ける人達がお互いに持ち回りと言うか、代わり映えのしないメンバーでの録音が多かったので、必然的にマンネリ的な感じとなりましたが、今聴くと当然ですが、全然気になりません。

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