録音する機械は、エジソンが1878年に特許取得(これ以前にも録音をした人はいますが)をしていますが、商業的なレコードが可能になるのは、10年後になります。
それまでの円筒型の記録メディアが円盤型に改良されて、大量にプレスが可能になってからです。しかし、まだマイクロフォンは無く、集音用のラッパから直にカットするもので、楽器によっては良い音が取れず、声楽的なものが主だったようです。
勿論、手動の蓄音機で聴いていました。1900年頃には世界的にレコードは発売されていたようです。このあたりの詳細はわかりませんが、日進月歩で改良されたのでしょう。1925年になりマイクロフォンが出来て、電気的に録音が可能になり、クオリティも格段に上がりました。
最も古いブルース録音は、1920年にボードヴィル・ブルース女性歌手の「マミー・スミス」が 、古典ブルース歌手よりも早く「オーケー・レコード」から出しています。ジャズバンドをバックに女性が歌った「古典ブルース」は23年頃からあります。 古いレーベルで良く見かけるものに「デッカ」「コロムビア」「RCAビクター」「キャピトル」「MGM」「マーキュリー」「ヴォキャリオン」「オーケー」「ブルーバード」などがあります。俗にメジャー・レーベルと言われるこれらの会社の中には、白人と黒人の両方のレコードを出しているところもあり、それを番号で分けていて、黒人のレコードを「レイス(人種)・レコード」と呼んでいました。 その分け方が戦後まで続いたところもありますが、戦後に多くは「R&B・レコード」としてリリースされるようになります。そしてインデペンデント(独立)・レーベルが各地で誕生してくるわけです。一部の超メジャーな人を除くと、インデペンデント・レーベルからの方が圧倒的に多いです。
※実際に昔の78回転SP盤でブルースを聴いた事がないので、正確な比較は出来ませんが、昨今のリマスターしたCDなどでは、1940年頃からはかなり良い音になっていて、 非常に聴きやすくて気持ちがいいです。
映画などを見ていると、1900年頃のアメリカは欧州からの移民や、マフィア、ギャングが良く出てきます。そして、キャバレーなどで演奏するショー・バンドなどを良く見かけます。20世紀になって、夜遅くまで営業する店が増えてきました。大衆音楽の発展するもう一つの場が出てきたわけです。
シカゴ、デトロイトなどの北部工業地域に移住する黒人も多くなり、また、1920年頃にはラジオ放送も始まり、音楽情報も全米に伝わるようになります。さらに、禁酒法が1920年に始まり、有名なカポネやアンタッチャブルの時代、そして大恐慌と、暗黒の時代になったわけです。
そんな背景から、白人のバンド、黒人のバンド、混成のバンドなどの多様化、昔ながらの旅興業、一人放浪するブルースマン、田舎のジョイント(安酒場)などで演奏する人など、都市、地方により、さまざまな音楽スタイルが生まれてきました。
※実際、禁酒法が出来た為に、不法営業の店が沢山出来て、酒(もちろん密造酒)の消費も増えたと言う、皮肉な結果になっています。
音楽的には、時代が下るにつれ楽器を所有できる黒人も増えてきて、管楽器などを演奏出来る人も増えてきました。やがて、ブルースの器楽的なものも広がり、ジャズの原形が出来てきます。
ラグ・タイムやミンストレルショーが源流となるジャズですが、そこには当然ブルースの影響があり、この頃(1920年代)の録音には、やたらと「○×ブルース」と言うものが多いのも特徴です。
一般的にニューオリンズがジャズの起源として言われますが、そんなに単純ではなく、もっと色々な所で色々なスタイルで進化、融合してきたものだと思われます。
これも、1900年頃にはバンド形態をとったものがあったようです。旅興業なども色々なスタイルが生まれ、1920年頃には興業を仕切る組織(TOBA)も生まれます。
その頃迄のブルースは、ギターやバンジョーを弾きながら歌うカントリー・スタイルが普通でしたが、バンドをバックに歌う歌手も出てきました。この様な、バンドをバックにして歌う歌手は女性がほとんどで、男性は弾き語りが多かったのも特徴です。
そして、最初にブルースが録音の対象になったのは、前者の方でした。アメリカの大衆がブルース音楽を知ったのは、MA RAINEY(マ・レイニー)などの女性歌手のレコードからでした。
Complete Recorded Works, Vol. 1(1923-1924)
Complete Recorded Works, Vol. 2(1924-1925)
Complete Recorded Works, Vol. 3(1925-1926)
Complete Recorded Works, Vol. 4(1926-1927)
Complete Recorded Works: 1928 Sessions
音楽的には、時代が下るにつれ楽器を所有できる黒人も増えてきて、管楽器などを演奏出来る人も増えてきました。やがて、ブルースの器楽的なものも広がり、ジャズの原形が出来てきます。
ラグ・タイムやミンストレルショーが源流となるジャズですが、そこには当然ブルースの影響があり、この頃(1920年代)の録音には、やたらと「○×ブルース」と言うものが多いのも特徴です。
Woman's Trouble Blues
ベッシー・スミス40曲入り
「BESSIE SMITH(ベッシ-・スミス)」は、1923年から1931年までコロムビアで160曲程の録音をしています。ニューオリンズのルイ・アームストロングも1年後にフレッチャー・ヘンダ-ソン楽団に入ります。ベッシ-・スミスの伴奏もしています。
そして、彼女に認められて、ビリー・ホリディが出てきます。ですから、この頃のブルースに対するアメリカ全般の認識は、彼女達が歌うスタイルのブルースでした。
The Best of Blind Lemon Jefferson [Yazoo]
最初に録音された弾き語りのカントリー・スタイル歌手は、1924年頃ですが、成功したのはテキサスの『ブラインド・レモン・ジェファーソン』の1926年が最初のようです。
この後からフィールド・トリップ(現地での録音)が始まり、南部の音楽(ブルースも含む)がレコ-ドとして紹介され始めます。
ブルースの巨人(3)
パットン
伝説のデルタ・ブルース・セッション1930
パットン、サンハウス他、オムニバス盤
当サイトが最も多く取り上げるブルース・スタイルであるシカゴ・ブルースの原点は、南部のデルタ地帯にあります。そして、その元祖的に言われる人が"CHARLIE PATTON"(チャ-リー・パットン)です。
この頃の南部の黒人の記録は、正確な生年はもとより、録音年などの信憑性も危ぶまれますが、1929年~34年の間には、かなりの録音をしているようです。
"SON HOUSE"(サン・ハウス)も、1930年に初録音をしています。(この人の録音は少ないのですが、60年代に再び発見され、録音を残します。)サン・ハウスはロバート・ジョンソンにもギターを教えたりしている人です。
この人の迫力はスゴイです。プリーチン(説教)が得意です。この顔で説教されたら説得力ありそうです。
King of the Delta Blues Singers
17曲入り
The Complete Recordings
2ディスクの41曲入り
デルタ・ブルースで最も有名と思われる"ROBERT JOHNSON"(ロバート・ジョンソン)は、1936年から録音があるようです。ロックの人達に多くカヴァ-された事で、私などもよく聴いた人です。
若くして亡くなった事や、写真が残っていないなど(後に発見)、伝説的な存在でした。哀愁を帯びた声と共に、イラストのジャケットが非常に印象的でした。南部では、ホテルの一室などを借りて、こんな感じで録音をしていたのですね。