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オールマン・ブラザーズ・バンド
レーナード・スキナード

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オールマン・ブラザーズ・バンド

オールマン・ブラザーズ・バンド
(The Allman Brothers Band)

南部のスタジオの音

サザン・ロックとスワンプ・ロックの区別が、はっきりとしない私ですが、ブルースやソウル(サザン・ソウル)のコーナーでも書きましたように、かなり広いアメリカ、南部、ウエストコーストなどの状況を、年代も含めて説明するのは、とても難しいことです。

きっとそのように呼ばれるきっかけとかは有るのでしょうけれど、元々、白人と黒人の、互いに入り込まない領域のようなものもあり、「ジョニー・ウィンター」のように、黒人の集団の中に望んで入りたい人もいれば、話もしないと言う人もいたわけです。

1959年に設立された、メンフィスのソウル・レーベル「スタックス」の少し後に、アラバマ州のマスル・ショールズと言う町に、「フェイム」と言うスタジオが出来ました。オーナーはカントリー(白人)のメッカと言える、テネシー州ナッシュビルの「リック・ホール:Rick Hall」で、スタジオのミュージシャンは、スタックスの黒人と白人の混成(当時はこちらが珍しい)ではなく、全部白人で固めました。白人カントリー系ですから、当然と言えば当然です。

よく「マスル・ショールズ」と言う名前を聞くと思いますが、取り合えず「フェイム・スタジオ」の録音と思って下さい。ソウル界では、「サム・クック」「ガーネット・ミムズ」達のディープなソウルから、南部でもサザン・ソウルが形成され始める頃で、1961年のアーサー・アレキサンダー「ユー・ベター・ムーヴ・オン」、1962年のジミー・ヒューズ「アイム・クウォリファイド」がヒットした事で、レーベルとして「フェイム」を設立します。

少し時間がかかりますが、1964年の「スティール・アウェイ」、66年の「ネイバー・ネイバー」と言った、いずれもジミー・ヒューズのヒットで知名度が上がり、そのサウンドにアトランティックやチェスと言った都市のレーベルが目を付け、多くのソウル・シンガーを録音させます。それがヒットして、メンフィスのスタックスと並ぶほどに有名になりました。

アトランティックの「アレサ・フランクリン」、チェスの「エタ・ジェイムス」「ローラ・リー」、そして、自身のフェイムから「キャンディ・ステイトン」、その旦那さん「クラレンス・カーター」と言った大物が続々とフェイムで録音しました。

その様な事を考えると、サザン・ソウルは南部のサウンド(特に白人のカントリー)に、黒人のディープなヴォーカルを乗せた音楽とも言えます。実際、白人カントリー・ソングをカヴァーしている事も多数あります。自然の成り行きで、少しずつ融合していったわけですね。

※「FAME」は 「Florence Alabama Music Enterprise」です。Florenceは町の名前です。テネシー州との州境近くで、メンフィスの東に位置します。マスル・ショールズはフローレンスの隣(一部?)の小さな町です。

まあ、その様な経緯で、フェイム・スタジオが設立され、サザン・ソウルで一躍有名になったわけです。そのスタジオでセッションマンをやっていたのが、ここでご紹介する「オールマン・ブラザーズ・バンド」の「デュアン」と「グレッグ」のオールマン兄弟です。

そして、リーダーでもあり、天才的なスライド・ギターを弾く、兄の「デュアン・オールマン」は、ジョージア州メイコンで、バイク事故の為に亡くなってしまいます。1971年の10月29日の事で、まだ24歳でした。さらにベーシストのベリー・オークリーも、5作目のアルバム製作途中に、デュアンと同じ場所でバイク事故で死亡しました・・・

※1970年代にはロックの人達の多くがマスル・ショールズで録音をします。

バンドのコンセプト

リーダーであるデュアン・オールマンは、グレッグと共にスタジオ・ミュージシャンをするほどの腕ですから、普通のバンドでは納得出来ず、スタジオのサウンドをライブで再現出来るバンドを目指して、メンバーを集めました。

まずライブ盤を聴くのを、お薦めします。ブルース・カヴァーも、他のアルバムを含めよくやっていますが、その演奏はフリーな感覚で、ジャズの感じも強いし、ボトル・ネック・スライドが有名なデュアンにしても、ブルースを感じるよりは、「デュアンのスライド・ギターそのもの」という感じです。

すでに、いろんなジャンルの音楽を消化して、自分達の音に吸収してしまっているので、全部がオールマン・ブラザーズ・バンドになっていると言った感じです。この若さでここまで完成されているのは凄い事で、その中心にいるのは、やはりデュアン・オールマンです。

The Allman Brothers at Fillmore East (1971年)

初めに、少しややこしいのですが、このアルバムは有名な「フィルモア・イースト」のライブ盤です。出来は最高の評価を得ている通りの、正に素晴らしいものです。

デュアン・オールマンの生前には3枚のアルバムがリリースされていて、このライブ盤が3枚目です。デュアンの死後に、1973年になり、1枚目の「The Allman Brothers Band」と2枚目の「Idlewild South」を一緒にして再発売されたのが、「Beginnings」です。

「Eat A Peach」の録音途中で、デュアンが亡くなり、急いで他のメンバーだけで録音されたり、フィルモアのアウト・テイクを入れたりして発売されたのが「Eat A Peach」です。
フィルモア・イースト・ライヴ

フィルモア・イースト・ライヴ+6(デラックス・エディション)

下の方が白くなっているだけの、同じようなジャケットですが、「Eat A Peach」に入っていたライブのテイクも、まとめてコンプリート的にしたのが以下のアルバムになります。素晴らしいライブを全部聴けるので、この場合は迷わず下の盤をお薦めします。


フィルモア・イースト・ライヴ+6(デラックス・エディション)

ビギニングス(1973年)

オールマン・ブラザース・バンド1

「ブラザー・アンド・シスター」の下に、個別のアルバムを掲載しますが、これは、最初は一枚ずつ出ていた1作目と2作目を一枚にしたものです。つまり、2枚組アルバムとして再発売され、1作目と2作目は廃盤になりました。CDの2オン1とか無い時代にどんな意味があったのかはわかりませんが・・・
Beginnings

イート・ア・ピーチ(1972年)

通算4枚目のアルバムになります。72年作品ですが、デュアンとオークリーの最後の参加アルバムです。1~3曲目はデュアン亡き後の作品で、4~6曲目はフィルモアライブ時の録音(フィルモア・イースト・ライヴ+6(デラックス・エディション)で聴けますが)、7~9曲目はデュアン生前の作品と言う構成からなるアルバムで、当時は(きっと今も)デュアンの残された音源などの意味でも重要なアルバムでした。
Eat A Peach

ブラザー・アンド・シスター(1973年)

5枚目に当るアルバムで、「Eat A Peach」録音後にオートバイ事故で亡くなったベーシスト、ベリーオークリーに捧げられたアルバム。ただ、このアルバムでもすでに録音されていたのか、何曲かでベースをやっています。

やはり、ディッキー・ベッツのカラーが少し強い感じで、ヒットした「ランブリンマン」はカントリー色の曲ですし、ブルースのカヴァー、「ジェリー・ジェリー」を歌うグレッグは、あまり元気が無いような印象です。このアルバム以後は聴いていませんが、やはり分裂は避けられない事でした。
Brothers and Sisters

ビギニングスとしてまとめられる前の単独アルバム

単独アルバムが欲しければ、この2枚ですが、「ビギニングス」と内容は同じです。

オールマン・ブラザーズ・バンド

オールマン・ブラザース・バンド2これが、1作目になります。デビュー作と言っても、キャリア充分なので、すでにサザン・ロックを代表するバンドの風格があります。ツインドラムの重量感と、ツイン・リード・ギターにからむオルガンのクールさの程よさが絶妙です。
The Allman Brothers Band

 

アイドルワイルド・サウス

オールマン・ブラザース・バンド3

2作目です 。マディ・ウォーターズの「フーチー・クーチー・マン」のカヴァーなどは、あまりにアレンジされていて、しばらく気がつきませんでした。

Idlewild South

 

レーナード・スキナード

トリプル・リード・ギターのサウンド

「スーパー・セッション」のアル・クーパーがプロデュースしています。やはり独特の嗅覚が働いたのか、たまたまアトランタで出くわしたバンドが「レーナード・スキナード」で、プロデューサーを担当したと言う事です。元から南部の音には興味を持っていたアル・クーパーですが、こんなバンドに出会うと言うのは、彼らしい引きの強さ?

レーナード・スキナード(1973年)

デビューアルバムですが、10年近いキャリアがありますから、デビュー盤とは思えない、実に安定したプレイです。それに、曲自体が凄く良いですし、トリプル・ギターだと言うのに、すっきりした音空間があります。少し遅れて来た大物と言う感じです。アル・クーパーのプロデュースも良かったのでしょう。
Pronounced Leh-Nerd Skin-Nerd

セカンド・ヘルピング(1974年)

3作目までは、アル・クーパーがプロデュースしています。このアルバムも良い曲揃いで、聴き応えがあります。私の場合は、きちっとまとまった演奏が身上のオールマン・ブラザースよりも、どちらかと言うと荒い感じのするこのバンドの方が好きです。

まず、彼等の最大のヒット曲の「Sweet Home Alabama」が聴けます。当時この曲は、ニール・ヤングが南部を揶揄した「サザン・マン」に対する南部側からのアンサーソングとしても話題にりました。でも、曲としては、どちらもカッコ良いですが・・・
Second Helping

Nuthin Fancy (1975年)

3作目のアル・クーパー最後のプロデュースで、バンドにとっても少し変化をつけた感じです。2枚のアルバムをリリースすると、けっこうやる事に行き詰まるものですが、まだまだ良い曲が揃っています。チャートでもシングル「Saturday Night Special」と、アルバム共に初の10位以内にランキングしました。 「Saturday Night Special」は映画のサントラにも使われました。(確か、ロンゲスト・ヤードだったと思います)
Nuthin Fancy

ワン・モア・フロム・ザ・ロード~デラックス・エディション ( 1976年)

元々が実力派のバンドで、ライブの評価が高いバンドです。1976年の夏にアトランタで行なわれたステージで、オリジナル未収録音源や未発表音源などが追加収録されています。この辺はかなりお得感があります。

当時は日本盤では発売されていなかったもので、音も演奏も言う事なし。スタジオ盤も良いですが、こちらから聴くのも良いでしょう。
ワン・モア・フロム・ザ・ロード~デラックス・エディション

アル・クーパーがプロデュースをやめ、ギターのエド・キングが脱退(元からアルが紹介してメンバーになっています)して、これ以降は聴いていません(全然と言うのではないです)が、1977年の6枚目(ライブアルバム1枚を含む)のアルバムリリース後に、リーダー的存在である、ヴォーカルの「ロニー・ヴァン・ザント」が飛行機事故のために死亡してしまいました。

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