50年代後半のシカゴでは、ロックンロールの波でブルースマンの活動の場も減ってしまいました。そんな中でヒットを出し続けたのが「ジミー・リード」です。そのジミーの幼馴染みでもあり、バックアップギタリストとしてほとんどの録音に参加しているのがエディー・テイラーです。 ジミー・リードは1925年生まれで、エディー・テイラーは23年生まれです。よくコットン畑などでギターを弾いて歌ったそうです。 しかし一緒に活動する為にシカゴに来たのではなく、ジミーは20歳で除隊してからシカゴに住み、工場などで働いていたようです。その頃から本気でプロを目指したようで、最初はチェス・レコードにデモを持って行ったのですが、当時は「マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、リトル・ウォルターで手一杯」と断られました。ちなみに、この人達はジミーのお気に入りのブルースマンでした。 ジミーに声をかけてきたのはビビアン・カーターと言うレコード店経営者でした。、レナード・チェス(チェスの社長)の下で働いていたジミー・ブラッケンと言う人が、ビビアンにジミー・リードのデモの事を話し、アポイントを取ってきた事からです。それで会ってみたら「レコーディングをしないか」と言う事で、レコードデビューが実現したと言う事です。 その時に会社側が連れて来たギタリストが、何とエディ・テイラーだったと言うのですから、偶然にしては出来すぎた話だと思いますね。そして、その時発足したレコード会社が「ヴィー・ジェイ」なのです。つまり最初のタレントと言う事です。それが次々とヒットを出すのですから、チェスにしてみれば残念なことだったでしょう。 ジミー・リードは「エイント・ザット・ラヴィン・ユー・ベイビー」、「ユー・ガット・ミー・ディジー」、「オーネスト・アイ・ドゥ」、
「アイム・ゴナ・ゲット・マイ・ベイビー」、「ベイビー・ホワット・ユウー・ウォント・ミー・トゥ・ドゥ」、「ブライト・ライツ・ビッグ・シティ」、
「ビッグ・ボス・マン」、「ゴーイング・トゥ・ニューヨーク」、「ユー・ドント・ハヴ・トゥ・ゴー」、
「ブギー・イン・ザ・ダーク」、「ハイ・アンド・ロンサム」、など数々のヒット曲出して、ブルース界のスーパー・スターの一人になったのです。 日本での人気はもう一つですが、ゆったりしたダウン・ホーム・ブルースはリラックスして聴くには最高です。50年代の後半から60年頃はB.B.キング以上とも言えるレコードを売った人です。いろんなレコードがありますが、「VEE
JAY」録音の50年代後半は充実しています。 |