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50年代・チェス・レコードとマディ・ウォーターズ(MUDDY WATERS)

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1920年代~シティ50年代(マディ・ウォーターズ)バディ・ガイ&ジュニア・ウェルズエルモア・ジェームス
アール・フッカーロバート・ロックウッド・ジュニア & サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡジェームス・コットン
ジミー・リード&エディ・テイラーフィリップ・ウォーカー
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(歴代メンバー等)

 

1950年代から60年代

マディ・ウォターズの周辺

 戦前から戦後にかけて、ビッグ・ビル・ブルーンジー達を中心に盛り上がったシティ・ブルースから、もっとアーシーな、より南部の力強さを感じさせるブルースが人気になってきます。流行とはそんなもので、洗練度が進むと荒削りな方に戻されてくるのが常です。

 とは言っても、いろんなタイプがありまして、ただカントリー・ブルースに戻るのではなく、その力強さを取り戻すような流れです。マディ・ウォーターズにしても、シカゴに出てからの最初の相棒であるジミー・ロジャースにしても、ブルース・ハープの革命者リトル・ウォルターにしても、都会的なブルースにあこがれていました。

 現に、当時のシカゴでは「ナット・キング・コール」「ジョニー・ムーアのスリー・ブレイザーズ」と言った、洗練されたジャジーなグループが人気でした。シティ・ブルースでも、ビッグ・ビル・ブルーンジー、ビッグ・メイシオ、タンパ・レッド、サニー・ボーイ・ウィリアムソン、メンフィス・スリムと言った面々が活躍していました。

シカゴブルースと言えばチェス。まずは、チェス・レコードの周辺から・・

 元は、1947年(48年とも?)にポーランド系移民であるレナードとフィルのチェス兄弟(女性パートナーもいた?)が設立した「アリストクラット」と言う会社で、ブルースだけというわけではなく、ジャズ、スピリチュアルなども録音していました。後にチェス兄弟が「チェス・レコード」を設立(1950年)します。その時に「アリストクラット」は「チェス」に吸収されています。

 1948年にマディ・ウォーターズの「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」が大ヒットし、これからデルタ・ブルース・タイプの曲が売れると主にレナードが判断したと思われます。南部の配給網の確立や、録音する為のブルースマンを捜したり、この辺の経営者としての手腕はかなりのものでしょう。

 当時は南部でもラジオが重要なメディアで、メンフィスは最大級のブルース専門番組を組む局もあり、ビー・ビー・キング、リトル・ジュニア・パーカー、ロスコー・ゴードン、ジョニー・エイス、ボビー・ブランドらが集まり、「ビール・ストリーターズ」などと言う伝説的なバンドを作ったとか聞きます。おそらく時々セッションするメンバーだったのだと思います。こんなにビッグ・ネームが集まってもまとまるものじゃないですしね。

 ビー・ビー・キングもラジオのディスク・ジョッキーをやっていました。サニーボーイ・ウィリアムソン・二世の「キング・ビスケット・タイム」はアーカンソー州ヘレナの名物番組で、ロック・ウッドも一緒でした。ちなみに「キング・ビスケット」は製粉会社のブランドです。ヘレナはメンフィスからそれほど遠くないミシシッピ河の下流の町です。

 デトロイトでジョン・リー・フッカーが「ブギ・チレン」を、メンフィスではジュニア・パーカーが「ミステリー・トレイン」を、そしてチェスからはリトル・ウォルターが「ジューク」と言った大ヒット(かなりのヒットを記録するのは、だいたいダンス・ナンバー)を出して、50年代のブルース黄金時代と言った頃です。

 50年代も半ばになると、チェスはチャック・ベリーやボ・ディドリーでロックン・ロールの流行に対応します。50年代後半はジミー・リードがダウン・ホームヒットを連発するものの、シカゴの黒人シーンではブルースは下火になります。

 メンフィスもロカビリーの台頭で、ブルースマンは他の地に移り始めます。チェスもチェッカー・レーベルを作り、リトル・ミルトン、ローウェル・フルソンやソウル系のアルバムに力を入れていきます。

 60年代はデルタ系のシカゴ・ブルース第一世代に代り、アーバン系(テキサス系が多い)の第二世代の人達が出てきます。それでも、第一世代のブルースもヨーロッパ・ツアーをきっかけに、新しいブルース・ブームが白人のロック世代から生まれてきます。

マディ・ウォーターズ(MUDDY WATERS)

Born:1915 : Died:1983

 戦後間もない50年頃のシカゴには、多くのブルースプレーヤーがいて、またいたるところに演奏の場があり、シカゴ・ブルースシーンは、最も活況を呈していました。このコーナーでは、当時を代表するブルースマンであるマディ・ウォターズを中心に御紹介します。

 彼は、デルタ・スタイルを、シカゴと言う都市にそのまま持って行き、エレクトリック・バンドスタイルに進化させて行きます。そしてそれは、後のブルース・バンドのみならず、ロック・バンドにも多くの影響を与えます。

 1915年生まれのマディ・ウォターズは、43年にシカゴへ出ます。45年にはいとこのブルースマンであるジェシー・ジョーンズを通じて、強力な相棒になるギターのジミ-・ロジャースと出逢います。ジミー・ロジャースは最初ハープも吹いていました。お決まりのようにハウス・レント・パーティーやクラブなどに出たりしていました。

 この頃にサニー・ボーイ・ウィリアムソン1世(ジョン・リー・ウィリアムソン)と仕事をしたりしています。サニー・ボーイ・ウィリアムソンは37年にすでに録音をしていますから、10年くらいも先輩になります。また、この時にサニー・ボーイ・ウィリアムソンと組んでいたのはピアノのエディ・ボイドでした。サニー・ボーイ・ウィリアムソンはすでにアルコールに溺れていました。よくある事です・・・

 マディ・ウォターズは46年頃から録音を始めていますが、リリースされたのは48年になってからです。ベースのビッグ・クロフォードと二人だけの録音ですが、47年録音の「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」は48年にやっとリリースされて、初回のプレス3000枚を2日間で売り上げ、マディ・ウォターズは一気に有名人になります。

 前述のように、この頃録音された曲はほとんどがリリースされないか、遅れてリリースされました。1年戻り47年にはまだ無名のままのマディですが、サニー・ランド・スリムの口利きで、やっとアリストクラット(後のチェス・レコード)で仕事が出来るようになりました。

 この時のサニー・ランド・スリムの「ジョンソン・マシン・ガン」は、マディのサイド・ギターとビッグ・クロフォード(当時はメンフィス・スリムのべースをやっていた)のべースで録音されました。マディ自身もメインで録音しますが、相変わらず認められませんでした。

 R&Bやジャンプ・ナンバーがヒットし、ナット・キング・コールのような洗練されたボーカルがうけていた都会のシカゴでは、マディのようなスライド・ギターのカントリー・ブルースのスタイルは売れないと思われたんでしょうね。ちなみにこの時のサニー・ランド・スリムの「ジョンソン・マシン・ガン」とマディの「リトル・アンナ・メイ」のテイクはかなり素晴らしいと私は思います。

 この年には、まだ18歳のリトル・ウォルターを加え、ドラムのリロイ・フォスタージミー・ロジャースの4人で、シカゴ最強のブルースバンドを結成しています。52年にはリトル・ウォルターが『ジューク』のヒットを出して、バンドからは独立していきまが、その後もレコードには参加しています。後釜には翌年に、ビッグ・ウォルター・ホートンが入りますが、繋ぎでジュニア・ウェルズもやっています。この二人もシカゴを代表するハーピストです。

 53年にはビッグ・ウォルター・ホートンのハープでマディ最大のヒット、『フーチー・クーチー・マン』を出します。この頃、ピアノのオーティス・スパンが加入して、シカゴ・バンド・ブルースとして頂点に達したと言えるでしょう。今考えても実に強力なメンバーです。

 ※当初の録音は『アリストクラット』でのものです。

マディ・ウォーターズ
(MUDDY WATERS)

マディ・アルバム
  ベスト・オブ・マディ・ウォーターズ 

 マディのアルバムは沢山出ています。今はほとんどベスト盤的なのが多い感じがします。これは、58年にチェスがリリースした、マディの初アルバムです。(当時はシングル盤を集めたものがアルバムでした)


マディ・3枚組・ベスト1947-1955
His Best: 1947 to 1955

 

BEST OF MUDDY WATERS

1.I Just Want To Make Love To You
2.Long Distance Call
3.Louisiana Blues
4.Honey Bee
5.Rollin' Stone
6.I'm ready
7.Hoochie Coochie Man
8.She Moves Me
9.I Want You To Love Me
10.Standing Around Crying
11.Still A Fool
12.I Can't Be Satisfied
13.Rollin' Stone (alt.)
14.Hoochie Coochie Man (alt.)
15.Rollin' And Tumblin' (Part1)
16.Rollin' And Tumblin' (Part2)
17.Baby, Please Don't Go
18.Manish Boy
19.Got Mojo Working (live) 

ボーナス+8のリマスター。最初に聴くならこれが良いです。

BEST OF MUDDY WATERS VOL.3

 これはかなり初期のものだけを集めたものです。

BEST OF MUDDY WATERS VOL.3

同じようなのを探してますが、沢山ありすぎて重複する曲が多く、これに近いものがなかなかありません。そこそこ近いものです。(数曲しか聴けませんが)

ジミー・ロジャース(JIMMY ROGERS

Born:1924 : Died:1997

ジミー・ロジャース
シカゴ・バウンド

CHICAGO BOUND (CHESS )

2年経ってやっと見つけました。
シカゴ・バウンド

当初、マディ・ウォーターズの録音のほとんどは、ベースと二人だけでされていて、50年になるまで、あまりチャンスがなかったジミー・ロジャースですが、彼の初録音、"TAHAT'S ALL RIGHT","LUDELLA"が聴かれます。

50~56年までの名演の数々で、最初に聴くのに最適かも知れません。ビッグ・ウォルター・ホートン(この人はいろいろな名前を使っています)のハープもいかしてます。超名盤!!

 

CHICAGO BOUND (CHESS )
JIMMY ROGERS

A:
1:YOU'RE THE ONE
2:MONEY MARBLES AND CHALK
3:LUDELLA
4:ACT LIKE YOU LOVE ME
5:BACK DOOR FRIEND
6:LAST TIME
7:I USED TO HAVE A WOMAN
B:
1:SLOPPY DRUNK
2:BLUES LEAVE ME ALONE
3:OUT ON THE ROAD
4:GOIN' AWAY BABY
5:THAT'S ALL RIGHT
6:CHICAGO BOUND
7:WALKING BY MYSELF

このアルバムはシングルを集めたもので、セカンド・ギターのジミー・ロジャースは、録音する機会そのものが少なかったのでしょう。

でも考えてみたら、マディ・バンドの歴史そのものと言った感じです。メンバーが増えていって、ピアノのオーティス・スパンが3曲くらい入っていたり、フレッド・ベロウのドラムが時々入っていたり、リトル・ウォルターとビッグ・ウォルター・ホートンのハープが聴けたりと、いたれりつくせりです。

リトル・ウォルター(LITTLE WALTER

Born:1930 : Died:1968

リトル・ウォルター
(LITTLE WALTER)

LITTLE WALTER

 ハーモニカをアンプで増幅させる奏法の第一人者で、"JUKE"の大ヒット後にマディ・ウォーターズのバンドから出て、自己のバンド「JUKES」を作ります。

 メンバーは、後に最強のリズム隊と言われる『エイシズ』ですが、ジュニア・ウェルズのバックをやっていた彼等を、ジュニア・ウェルズから強引に奪ったと言う話もあります。このアルバムはベスト盤的なもので、ほとんどがカヴァーされています。

 

 

A:
1:MY BABE
2:SAD HOURS
3:YOU'RE SO FINE
4:LAST NIGHT
5:BLUES WITH A FEELING
6:CAN'T HOLD OUT MUCH LONGER
B:
1:JUKE
2:MEAN OLD WORLD
3:OFF THE WALL
4:YOU BETTER WATCH YOURSELF
5:BLUE LIGHTS
6:TELL ME, MAMA
C:
1:BACK TRACK
2:IT'S TOO LATE BROTHER
3:JUST A FEELING
4:TEENAGE BEAT
5:JUST YOUR FOOL
6:FLYING SAUCER
D:
1:I GOT TO GO
2:SHAKE DANCER
3:TOO LATE
4:THUNDERBIRD
5:AH'W BABY
6:BOOM BOOM OUT GO THE LIGHTS

リトル・ウォルター
コンフェンション・ザ・ブルース

CONFESSIN' THE BLUES

これは、"CONFESSIN' THE BLUES "と言うアルバムにボーナストラック6曲追加で出たCDです。ヒットチャートに上がらなかった曲が多いですが、良い曲が揃っています。

これがありました。在庫は1みたいです。
CONFESSIN' THE BLUES

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BLUES COLLECTION
CONFESSIN' YHE BLUES (CHESS)

1. IT AIN'T RIGHT
2. ROCKER
3. I GOT TO FIND MY BABY
4. LIGHTS OUT
5. ONE MORE CHANCE WITH YOU
6. CRAZY LEGS
7. TEMPERATURE
8. I GOT TO GO
9. CRAZY MIXED-UP WORLD
10. QUARTER TO TWELVE
11. CONFESSIN' THE BLUES
12. THE TODDLE
13. UP THE LINE
14. ROCK BOTTOM
15. MEAN OLD FRISCO


BONUS:
16. TOO LATE
17. FAST LARGE ONE
18. BOOM, BOOM OUT GOES THE LIGHT
19. JUST A FEELING /
20. I DON'T PLAY
21. JUST YOUR FOOL

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At Newport 

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リトル・ウォルター・ベスト
His Best : The Chess 50th Anniversary...

フィールド・レコーディング

 最近見つけたのですが、以前から南部での録音(チェス以前)があると聞いていました。それは1941年に行なわれた国会図書館のフィールド・レコーディングで、ロバート・ジョンソンの録音をしに南部を訪れたものです。

ところがロバートはすでに死亡していて、代わりにと探したエルモア・ジェームスも見つからず、マディ・ウォーターズ(すでに南部ではこう呼ばれていた)に声がかかったと言う事です。

その時のレコーディングがCDになっていました。これはマディの自宅の玄関先で行なわれたもので、とても雰囲気が良くまた貴重なものです。

翌年も行なわれ、この時は地元の仲間と一緒にやっており、それもこれで聴けます。計14曲くらいですね。その翌年にシカゴに出るのですが、チェスと出会うまでの二度のレコーディングも収録されています。

マディ・初期の録音レコード

Muddy Waters 1941/1946 

 

マディ・3枚組・ベスト1947-1955
His Best: 1947 to 1955

 

嬉しい事なのですが、CDが多すぎて探しきれません。いずれは別のをご紹介しますが、50年代頃のベスト盤が良いと思います。かなり広範囲で3枚組があります。これはマディを知るには良いと思います。
マディ・3枚組・ベスト1947-1955
The Chess Box

 

チェス・ストーリー
1947-1975

チェス所属アーティストのシングルを集めたものと思いますが、マディのデビューの頃から、55年頃のチャック・ベリーやボ・ディドリー、さらにはソウル系のエタ・ジェームスなど、チェスの歴史が楽しめます。各アーティストのコンプリート盤などもあり、比較しながら聴くのも面白いです。13枚CDセットです。

アルバム収録曲・13枚全部

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